ネコ の チャッケ




1 小さな猫との出会い

2 シッポへのいたずら

3 チャッケの大変だー

4 チャッケの引っ越し1・2・3

 5 雪の中のチャッケ


                                          
                                           

   1、小さな猫との出会い     


    父は猫が嫌いだった。
  理由は簡単、大事に育てていた大きな金魚を野良猫が食べてしまったからだ。
  犬も鳥も魚も、飼った時には可愛がり、翼に傷を負っていたカモメを助けて丁寧に介抱していた。
  そういう父が金魚を盗られた事で猫嫌いになったのである。

    小さなネコが庭に迷い込んだのは秋のこと。
  冬に備えての薪割りを終えた後、その薪の山の中でニィーニィーと鳴いていた。
  小さくて頼りなげで、お腹を空かせた声。
  一日二日その場所で食べるものを与えていたが、どうしても放っておく事ができずに、
  父と母に頼み込んだ。

     母は直ぐに、ネコ嫌いの父もまた渋々OKを出してくれたのは、
   じきに寒さの厳しい季節がやってくるからだったのかもしれないし、
  小さなチャッケが必死になって頼むのでNOとは言えなかったのかもしれない。
  まもなく白地に薄茶の模様の仔猫は家族の一員となり、暖かな家の中で暮らす事になった。
  そうして私がネコにつけた名前が「チャッケ」である。

  父にしてみれば大きな迷惑。チャッケーと呼べば「はーい」と返事が聞こえるが、
  私もまたチャッケーと呼ぶと、ようやく名前を覚えたネコが「ニャン」と返事をする。
  幼い頃、小学2年か3年生の頃の話である。



                              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


     ***  「チャッケ」は父が私につけた愛称で、津軽弁で小さいを意味する。
            三姉妹の末っ子はチャッケという愛称を持ち、そのチャッケが、
            拾い上げた仔猫につけた名前が「チャッケ」という訳ですね♪ ***





      2、シッポへのいたずら・・・子供は仔猫の天敵かも・・・   

 
   家の中にネコのチャッケがいるのは幸せな事だった。
  犬のペスは、その頃にはもう居なくなっていたのだと思う。
  何回か家に帰らない事を繰り返しながら、とうとうそのまま帰らない時がやってきた。
  一週間・二週間、きっとまた帰って来ると信じながら、気持ちのどこかで諦めているものがあった。
  しかし、どこかで生きていて誰かに可愛がられていると信じたかった。

    そういう時に家族の一員となったネコのチャッケに、私は夢中になっていた。
  朝起きれば、背中のセーターと上着の間に入れて赤ちゃんのように背負って歩く。
  夜寝る時には布団の中に入れた。
  しばらくすると冬の寒い時などネコの方が先に布団に入り、温めてくれるようになった。

    ネコのチャッケが良い遊び相手になってくれたのはいいが、
  ともするとその遊びがエスカレートする事がある。
  そして人間の子供にとってはただの遊びでも、ネコにとっては生き死にに関わって来ることがある。
  少し大げさな言い回しだったかもしれないが、
  ともかくネコにとっては考えられない迷惑な事を人間の子供はたやすくやってのけ、
  しかも自分がやった事をケロリと忘れてしまうのである。

    白状しよう、私はネコのチャッケのシッポに輪ゴムを巻き付け、
  まる一日以上もその事を忘れていたのである。
  ネコの様子がいつもと違うように見えて、ハッと思い出し。青くなった。
  ネコが逃げ出さないように必死で抱きしめながら母を探して歩いた。そして,
   「母ちゃー(カッチャー)、チャッケのシッポ、治してけれー」 殆ど泣きそうになって母に訴えた。

    私がネコのチャッケをギュッと抱きしめて、母が丁寧にシッポに巻きついた輪ゴムを外してくれた。
  輪ゴムを外しながら母が言った。
  「こういう事をすると血が通わなくなって、シッポは腐って落ちてしまうんだよ」
  静かな話し方だったが、大きな声で叱られるよりも身に応えたような気がする。
  ただ 「どうしよう、どうしよう、シッポが落ちたらどうしよう」と、自分のした事が恐かった。

    幸い、ネコのチャッケのシッポは落ちることなく、
  母が塗ってくれた傷薬が効いたのか程なく回復したが、
  輪ゴムを巻き付けた部分だけは、そのままずっと毛が生える事が無く、白い地肌が見えていた。
  シッポの毛をかき分けると白い地肌が輪になっていて、
  それを見るたびに、いつまでもチクチクと胸が痛んだ。



                                                                                             



   3 「チャッケの大変だー!」   

  あれは早春だったのか、それとも秋も深まりつつあったころなのか、寒い、ある朝のことである。何とも言えないネコのチャッケの声が聞こえてきた。アオーンでもない、ミギャーでもない、ともかく何処かで人を呼んでいる、それが何処なのか分からないが近くに居るのは間違いない。

 何度も聞こえるチャッケの声を頼りに探し歩くこと数分。なんとトイレの中から人を呼んでいたのであった。アオーン、ギャオーン、ミギャーオン、ヒェーン・・。トイレの中に閉じ込められていた訳ではない。トイレの中のその中、つまり落ちていたのである。
 どうしてそういう羽目に陥ったのかは知る由も無いが、覗いて見れば、便槽の中で首だけを出してもがいているチャッケが居る。汚れていないのは首から上だけで。ボチャボチャと必死に前足を動かしている。家族全員たまげたが、だまって見ている訳にもいかない、そのまま沈んだらと思うと恐ろしい。あれこれ考えるひまもなく父が救出に向かった。

 家の裏にまわり、いつも汲みあげている蓋を開けると間近に情けない声を上げているチャッケがいる。父が、手袋をはめた腕を伸ばしてチャッケの首の後ろを持って、つまみ上げる。糞尿にまみれたネコのチャッケはかなり重かったらしく、そのまま冷たい湖へドボン。かなり乱暴に見えたがそれしか方法が無かった。なにしろ自分達の出したものに落ちたとはいえ、ものすごい状態なのだ。

 首をつかんだ、そのままの状態で右に左にチャッケを振る。まるで汚れたオシメを洗っているようだ。その間、アオーンと鳴いていたのか、それとも声も出なかったのかは覚えていないが、ただ汚物を洗い落として貰ったチャッケが陸に上がったとたんに腰が抜け、歩けなかったことだけは覚えている。

 前足だけでよろよろと23歩進んだところでダウン、そうして、アウオーンである。その様子を見ながらホッとしたような、でも腰が抜けてそのままだったらどうしようと、心配だった。

 水の中で振り回されたとはいっても全ての汚れが取れている訳ではない、ストーブの前に連れてきて温めながら、そちこちに残っている物をきれいに取り去り、乾いたウエスでゴシゴシ拭ってくれたのは母だった。

 朝早い時間の事である。その後、学校へ行かなければならなかったが、母にしつこくチャッケの介抱を頼んで出かけた。学校が終わって飛ぶようにして家に帰り、居間に飛び込んだ。

 ストーブの前には元気を取り戻したチャッケがいて、のんびり眠っている。抜けた腰が元に戻ったのは身体が乾いて、しばらくしてからの事らしい。

 チャッケの毛はサラサラと柔らかく、きれいになっていたが、しみ込んだ臭いが取れるまではかなりの日数がかかった。臭い臭いと言いながら、トイレ騒動の事を思い出し、父も母も姉達もみんながおかしくて笑いあう。

  あの朝、声を絞り出して助けを呼んだチャッケが可愛かった。



  チャッケの引っ越し1

 小学5年の時、父親の仕事の関係で、一年間を隣村で過ごさなければならなくなった。それまで住んでいた養魚場の管理のための家は、県の建物だったので住み続けることができず、家族で引っ越しということになる。
  さて、困ったのは猫のチャッケである。当時、ペスの後に飼いだした白い犬がいて、紐でつながれている犬は簡単に連れて行くことができても、自由に外で遊び回っている猫を連れて行くのは難しいという。第一にネコは家につくと昔から言われていて、引っ越し先からわざわざ前の家に戻った例もあるそうだ。

しかし、小さな私にそういうことは理解できない。ネコのチャッケを置いたまま余所の土地へ行くことなど考えられなかった。どうしても連れて行きたい。なんとしても一緒に行く。一緒でなければどこへも行かないと、強情っ張りを続けた。ネコを連れて行くことを渋っていた父も、とうとう根負けし、ネコのチャッケも隣村への引っ越しが決まった。

引っ越し先は車で30分ほどの所だが、それまで住んでいた浜辺の家とは全く違う環境が待っていた。村外れの山の斜面に村営の小さな住宅が並んでいる。少し離れた所に小学校と中学校があり、その校庭からだと見上げる様な土地に小さな住宅が建っていて、家と学校の間には大きなアカシア(ニセアカシア)の林が続いている。

 初めて木と家に囲まれた生活が始まった。風が吹いても吹きっさらしではなく、木々や他の住宅が風の力を弱めてくれる。引っ越しで忙しく過ごしていたが、春の新緑や、甘い香りのアカシアの花を楽しんでいたことは覚えている。近所の人に教えて貰ってアカシアの花の天ぷらを食べたのも懐かしいし、その後のアカシアの葉に大きな虫が付いていて怖かったのも、今になれば楽しい思い出となっている。
 そしてネコのチャッケは、というと、やはり同じように緑の世界を楽しんでいる様だった。

初めての土地で外に出し、迷って帰られなくなったらどうしようという気持ちはあったが、いつまでも閉じ込めておくことはできないし、そこまでネコに構っていられるほどの余裕も無い。チャッケはいつの間にか外に出ていて、家を認識し、きちんと帰って来るようになっていた。ネコにはネコの覚え方でもあるのだろうか。
 住宅から山に向かって歩いていくと、まもなくの所に鳥居と小さな祠があった。山の中の小道と言っても住宅地からの一本道で迷うことはなく、大小様々の木、初めて目にする草や花が沢山あって子供の目にも新鮮に映る。そんな山の中をネコのチャッケも存分に楽しんで、それからのんびりと家に帰って来るようであった。そういうことを繰り返しているうちに、ネコの顔や身体のあちこちに小さな黒い点を見つけるようになった。浜の生活では目にする事の無かったもの、その正体はダニである。
 大人たちは人に移ったらどうしようと心配するらしいが、子供はネコに付いたダニが不思議で、触ったり、つまんだり、引っ張ったり。これも近所の人に教えて貰って、むやみに引っ張ればネコの皮膚に食い込んだダニの頭が残って炎症を起こすことが分かった。線香の火を近づけてダニが逃げ出すように仕向けるという方法もあって、試してみたが、上手くいく時といかない時がある。

 ネコの額に食い付いた一匹のダニがどうしても取れなくて、ではそのままにしたらどうなるのか、黙って見ていることにした。黒い芥子粒のようなダニが、やがて胡麻粒のようになり、更に膨らんでネコの額で揺れるようになった頃、自然にダニは取れたようだ。食い込んでいた痕が、しばらくはネコの額に残っていて、ダニのしつこさを思い知らされたような経験だった。

チャッケの引っ越し2

 そんなこんなの、楽しかったり口惜しかったりした一年を過ごして、やがてはまた十三湖へ戻る時がやってきた。再びネコの引っ越しである。懐かしい浜辺の村へ帰るのだが、今度は湖畔の我が家ではなく、集落のほとんど真ん中辺りに住むことになった。
 仕事や家の事情で、ずっと人に貸してあった父の実家がその場所である。父にとっては自分の家にようやく帰ったということになるのだろう。家は小さな旅館を営んでいた。大人の事情でいきなり商売屋に移り住み、それまでの生活とはまた別な環境で暮らさなければならない。
 
 ネコは家につくもの、という人がいる。引っ越した先の旅館には一匹の三毛猫が残されていた。それまで住んでいた人達は、商売に必要な食器や厨房の器具を残すと同時にネコも置いていったらしい。ネズミをよく捕まえる良いネコだからと父が説得された話を、後々聞かされ可笑しく思ったことを覚えている。

 最初のうちはチャッケのように人に懐くこともなければ、勿論布団に入って来ることも無い。また、元の飼い主を、落ち着かなく探し回ることもなく、毅然と座って真っ直ぐに前を眺めているようなネコだったが、ほどなく私達にも馴れてくれ、楽しい生活が始まった。これがオスだったら縄張り争いが始まる所だが、チャッケにとっては何時でも一緒にいられる恋ネコができたと同じことである。
 二匹一緒に遊んでいる姿を見るのは楽しかった。程なく仔猫が生まれ、夢中になって可愛がった。友達にも見せてあげて、少し大きくなった頃に貰い手を探した。しばらくすると、また元の二匹に戻っていて恋の季節が巡って来る。しかしその楽しみも二回三回と繰り返されることはなく、いつのことだったか学校へ行っている間に三毛ネコの姿はいなくなっていた。これ以上ネコに煩わされるのを嫌った父が何処かへ連れていったらしい。今から40年以上も前のこと、父には父の言い分だってあったのだろうと考えている。
 そうして一年と少しが過ぎた頃、また引っ越しである。


チャッケの引っ越し3

今度は同じ十三地区の橋向かいが新しい住まいだ。父の夢だった小さな旅館を建て、家族だけで営業を始めるという。父は親から受け継いだ稼業を戦争で中断し、更に他の仕事に就いて十数年を過ごしていた。年齢の事も考えて、その時にしか出来ないと思ったのだろう。人の気配は無いが、静かで湖の全貌を見渡せる橋向こうの松林に小さな旅館を造ったのだが、そこへ行く事がネコのチャッケにとって最後の引っ越しとなる筈である。
 橋の向こうとは言っても同じ村のこと、ゆっくり歩いても20分くらいで行ける距離である。簡単に家財道具を運びこみ、さてと、辺りを見渡せば、チャッケの姿はどこにも見えない。それでも同じ村内のこと、いつかはひょっこりと目の前に現れて、新しい家に連れて行ける。そう信じて、無理やり探す事をやめたのが夏休みの頃のことだった。

 9月、10月と、引っ越し後の慌ただしい生活の中で時間はあっと言う間に過ぎて行き、今にも雪が舞いそうな季節が訪れた。冷たい北西の風が砂を巻き上げる。その頃になってもチャッケの姿を見る事はなかった。
 学校の行き帰りには、前に住んでいた所を通ってネコがいないかどうか確かめながら歩いてみる。友人と一緒に近所のおばちゃんにネコのことを聞いてもみたが、見かけた話はあっても、目の前にチャッケが現れることはなかった。
 暖かい季節には心配も少ないが、寒くなって雪が積もればどうしよう、食べるものが無くなればどうなるのだろう、と、急に怖さが増してくる。姿を消してからもう3ヶ月くらいだろうか、今は何処でどう過ごしているのか、心配な気持ちだけが膨らんでくるようになっていた。

そんなある日、学校帰りの道端で、とうとうチャッケと再会することが出来たのである。道の向こうにチャッケがいる、思わず大きな声で名前を呼んだ。
「チャッケーー!」ネコも「ミギャ~~」と返事をし、互いに走り寄って抱き上げた。
 そして感動の瞬間は、痛かった。チャッケは抱き上げた瞬間に私の鼻をカプリと噛んで離さないのだ。
 牙の一本は鼻の中に入っていて、痛いけれど、可笑しくて、嬉しくて、しゃがみ込んだまま声を上げて笑い出してしまった。チャッケにしてみれば、今までどうして見つけてくれなかったのか文句の一つも言いたかったのかもしれない、それとも長い自由を楽しんで後、久しぶりに出逢えたことが嬉しくて、最大の愛情表現が鼻を噛むことだったのか。ネコ同士が互いを確かめあう鼻キッスとは大違いだ。ともかくそのままではいられないので、ネコの口に指を差し込み、こじ開けて鼻から離し、あらためてギュッと抱きしめた。驚いたことに3ヶ月あまりのうちに、痩せ衰えたのではなく、丸々と太って、家にいた時より一回りも大きくなったように感じる。
 通り掛かったおばちゃんの話では、
「その猫はねぇ、うちのトヤマに来て魚を食べていたよ。いつも来ていたよ。どこの猫か分からなかったけど、あんたの猫だったのかい」
と、いうことであった。「トヤマ」というのは家の裏庭や畑の隅に作った堆肥の山のこと。大体は稲ワラを積み上げた上に食事の残りものや野菜クズ、魚のアラなどを置いて発酵させ、頃合いを見て畑の土に漉き込むのだが、チャッケにとって良かったのは、浜の村のことでトヤマの上にも魚が多かったということだろう。

 雪が降る前にチャッケを見つけることが出来たのは幸いだった。抱きしめた状態で、腕から離すことはもうできない。
 ちょうど一緒にいた友人が、近くの店から段ボールの箱を貰ってきてくれて、その中にチャッケを押し込み、親には小言をいわれるかもしれないが、タクシーに乗せて橋を渡り、一緒に家へ帰った。それがチャッケにとっては最後の引っ越しである。
 久しぶりに見る、太ったチャッケに皆がおどろいた。父は相変わらずちょっと渋い顔をしながらも、ネコの無事な姿を喜んでくれたようで、ホッとしたことを覚えている。





  5 雪の中のチャッケ

 しばらくの間は、学校から帰って、家の中にチャッケの姿を確認するとホッとしたものである。チャッケのいない間、チクチ クと痛んでいた気持ちはどこかへ飛んで行ってしまったようだ。ネコのチャッケも安心して寝られる場所と、不自由のない食生 活を確保することができた。夜は暖かい布団に入り、食事には父が獲ってきた魚をもらい、ますますがっしりと大きな猫になっ ていったのである。
 住まいの目の前は湖で回りは松林、当時は近所に建っている家も殆ど無く、遠目から見れば松林の一軒家の様に見える。そう いう場所だからこそか捨て猫や捨て犬なども多く、その中の数匹は我が家に住み着いていたと記憶している。時折、外から猫のケンカの声が聞こえることもあるが、幼い頃のように怖くもなければ心配にもならない。大概はチャッケが勝 って帰る。身体のそちこちに傷は作っても、負けることは無さそうだ。大きな体と気の強さで家の周辺に大きく縄張りを持って いたのかもしれない。

 松林に囲まれた湖のほとりへ移って二年めの頃だったろうか、家族だけで営んでいる小さな旅館には都会からの旅人が時々訪 れるようになっていたが、丸々と太った大きな猫を見て驚く人が後を絶たなかった。日の当たる廊下に長々と寝そべるチャッケ を見て、

客 「これは何と言う生き物ですか」
私 「これは猫です」
客 「犬ではないのですか、何と言う猫ですか」
私 「犬ではありません。チャッケという猫です」
客 「チャッケとは何ですか」
私 「チャッケとは、小さいという意味です」
客 「・・・・・・!?」

 こんな変な会話を数回記憶している。廊下に寝そべる猫をそのまま放っておく飼い主もよくないが、猫に触らないよう、そろ そろと歩くお客さんの様子がおもしろくて、ついそのままにしてしまう。人を怖がらず、悠然として浜を歩き、松林で虫や小動 物を追いかける。3度の引っ越しの後、伸び伸びとした生活をさせてやれて良かったと思っている。

 家の回りは松林と書いたが、その松林は家の東側を除く三方を囲んでいた。ヤマセ(北東の風)は直に吹きつけるが、秋から冬 にかけての北西の風からは完全に家を守ってくれる。学校からの帰り道に360メートル程の長い木の橋があるが、寒い季節など 、日本海から吹き抜ける風がまともに当たり、顔が痛くなるほどだった。それに雪が着けば目を開けていられないくらいになる 。そうして橋を渡り切って松林の道に一歩踏み込んだとたん、風は止み、横殴りに吹きつけていた雪が真っ直ぐ上から落ちて来 るようになる。その変化を何度楽しんだことだろう。
 ある日、やはり横殴りの風雪を受けながら橋を渡り、静まり返った松林と真っ直ぐに落ちて来る牡丹雪を楽しみながら家に帰 った時のことである。家と物置小屋の間の僅かな隙間にチャッケを見た。
 そこには50㎝ほどの高さに板切れなどが積み上げられていたが、その上にチャッケがいる。そしてすぐに、動かずに じっとこちらを見ているチャッケの顔の下に、もう一匹の猫の顔が確認できた。思い返せば早春の頃だったのかもしれない。猫 のシーズンが始まっていたのだろう。これまでに何度もチャッケの子供らしい仔猫の姿を見ていて、今回もまたと、可笑しく思 えて、「チャッケー なぁにやってんの」と、声をかけた。しかし、チャッケはその声に耳を動かすこともなく、ただじっとこちらを見据えている。もう一度「チャッケ」と呼びかけて も同じだった。頭には僅かだが白く雪を載せている。顔の下にいる猫と離れもせずに、じっとこちらを見据えるチャッケ。今までに見たことのない、知らない猫の顔だ。
 しばらく間をおいて、私はなぜか片手で降り積もった雪を握りしめ、チャッケをめがけて投げていた。その雪がチャッケに当 たったかどうかは覚えていない。二度目に雪をぶつけた時、チャッケはようやく身体を起こし、牡丹雪が降り続ける松林をゆっ くりと歩いて行った。
 猫のチャッケ5~6才、人間チャッケ14才の頃の話である。


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